伊羅保茶碗 薮内流休々斎 書付箱
¥ 180,000 税込
商品コード: NP036
伊羅保茶碗の名品です。
伊羅保茶碗(いらぼちゃわん)とは、李(り)朝時代の朝鮮半島でつくられた高麗茶碗の一種で、多くは桃山、江戸前期に日本の茶人からの注文で焼造せられたと考えられています。
作行は、やや薄めで、形は深め、胴はあまり張らず、腰から口まで真直ぐに延び、口が大きく開いていいます。
素地 (きじ) に鉄分の多いあらい土を使い,ろくろ目の目立った跡に小砂が火にはぜて釉 (うわぐすり) が荒れているため,
手ざわりが「いらいら(ざらざら)」するところから,日本でこの名がつけられたと云います。
その産地は慶尚南道地方・釜山広域市東莱(とうらい)の近くと推定されています。
箱蓋裏に藪内流(やぶのうちりゅう)十代休々斎の墨書と花押がございます。
【 伊羅保 茶碗 銘 金英 休々斎 花押 】
藪内流は茶道流派の一つで、古儀茶道藪内流とも云われています。
浮薄を戒め千利休時代の茶風を留めているとされます。
十代 休々斎竹翠紹智(きゅうきゅうさい ちくすいじょうち)(1840~1917)は姓は福田、名は宗添、もと加賀大聖寺藩の御典医で茶堂でもありました。
宝林斎の急逝にあたり藪内家に後見人として迎えられ、休々斎竹翠と号しました。
宝林斎の遺児、常弥(のちの十一代透月斎)、乙弥(のちの節庵)を養育し、専ら家にあって稽古に熱中したと伝えられます。
明治11年12月1日、初めて北野天満宮神前で公開の献茶をすることになった折に、休々斎は雅楽の音に合わせて献茶を行い、その点前を規定しました。
以来北野天満宮の献茶は藪内家と、三千家の輪番制となり今日に至っています。
休々斎は晩年大阪吹田に隠棲し、福田姓に復しています。大正6年没。78歳。
今回のお品は侘び寂びの境地のなかに気品を兼ね備えたもので、名品の香りが致します。
作品サイズ・高さ7.5㎝ 口径14.5㎝ 仕覆・箱あり